≪ミスターロンリー≫
あなたにはフィルターがありますか?
(2008-02-29)
■SSさん、おすすめの映画≪ミスター・ロンリー≫観てきました。
私にとってはメルヘンだったな。
悲しくて無垢で愛しくて、そして毒をもって言えば滑稽・・。
褒めて、褒めて。≪LCW≫に行きそうになるところを、
両手をぐーにして耐えました。
人セクと同じ映画館だったんだよ、しかも≪人セク≫の予告を
エンドレスに流してる・・ うう、ありかよ、ありなのか?
どう考えたって、私がかわいそうだ(笑)
がんばった、そうだよ、外国映画を見なさすぎ。
えいえいおー、でチケットを買いました。(そこまで勇気がいるか?)
■あらすじ■ ■ ■ ■
パリに住むアメリカ人青年マイケル(ディエゴ・ルナ)は、
不器用な性格から自己を社会へ適応させるために
マイケル・ジャクソンとして生きていた。
マイケル・ジャクソンの姿をし、
マイケル・ジャクソンとして生きることにより、
人とのコミュニケーションをかろうじて取ることができていたのだ。
そんなある日、マリリン・モンローとして生きる
女性(サマンサ・モートン)との奇跡的な出会いによって、
人生の転機が訪れる。
彼は彼女とともに生きるため、彼女の故郷へと飛び立った。
そこには、大勢の仲間たちが彼女の夢でもある
共同生活のために集まっていた。
マリリンの夫、チャーリー・チャップリン、
娘のシャーリー・テンプル、
そしてマドンナやジェームス・ディーン。
彼らとの生活で、マイケルはマリリンを見守りながら、
人生に幸せを見出し始めるが――。
(cinema cafe net)
■映画事情に不明で申し訳ないのだが、「ミスターロンリー」は
ハーモニー・コリンという、19歳の若さで、「KIDSという
作品の脚本で世界中にセンセーションを巻き起こした監督の
8年ぶりの作品なのだそうだ。
この監督は知らないが、モノマネパフォーマーであるマイケルの
エージェントであるレナード、彼はかのレオス・カラックス監督で、
マリリン(サマンサ・モートン)の夫チャップリン(ドニ・ラヴァン)と
コンビを組んで「ポンヌフの恋人」「汚れた血」「ボーイミーツガール」の
3部作を世に送り出した人だ。
(ポンヌフの恋人ではジュリエット・ビノシュが美しかった)
やたら疾走していたドニであったので、映画が終わるまで気付かなかった。
■私は最初、マイケルを生きる男とマリリンを生きる女の恋物語なのかなと
思ってみていた。もちろんそれはそうなのだ。朝、マイケルの部屋に
カーラーを巻いたまま訪れるマリリンとのシーンはせつなく抑制が
きいていて、美しいのだ。
だが、恋物語がメインというような作品ではなかった。
ひとさまざまにこの作品を味わう角度はちがうかもしれないが、
私は自分とどんなふうに折り合いをつけて、世界と関わってゆくのか、
そのことを問いかけている作品なのではないかと思った。
タイミングよく≪LCW≫でも、Lが同じ地点に立っていた。
マイケルもマリリンも実在する(実在した)人物を通してしか
世界と関われない。
そしてLもワタリという人物を通してしか世界と関われなかった。
ワタリの死後、Lは果敢に自分がどういう存在であるのかを
時間との駆け引きの中で疾走しながらたどり着いたのであるけれど、
マイケルやマリリンはどうだったのか・・・。
彼らのフィルターがフィルターとしての役目を果たさなくなる瞬間が
訪れる。かれらのすまいにある牧場で羊の病気が発覚する。
かれらは病気の羊をすべて射殺せねばならなかったのだ。
フィルターを通しての人生が一瞬、ほころびをみせる。
彼らは敷地内に舞台を設営し、地上最大のショーを開こうと決める。
準備をすすめ、ショーの幕があがるが、客は演者よりも少なかった・・。
マリリンとの恋は突然に終わる。マイケルはマイケルであることに
終止符をうち、みずから「ただの男」としての自分を生きてゆく道を
選ぶのだった。ほかの誰のフィルターも借りない生き方、ここから
どんな展開が待っているのかはわからない。
■私は観終わってから、真実のマイケル・ジャクソンそのひとを想った。
彼もまた、本人でありながらも、マイケル・ジャクソンという、かつての
栄光の代名詞をフィルターとして生きるしか、すべがなくなっている
のではないかと。
ひとはすっくと2本の足で立っているようでありながら、実にその姿は
頼りないのではないかと想う。もしも我等が天使の視点をもてば、
たぶん危なっかしくて見てはいられないだろう。
だけど、どんなに無力で滑稽な夢を見て、その結果無残に敗れても
それでも、傷つきながらも、自らの2本の足でつぎの地平に歩き出す、
それが愛しいのだと想う、天使の視点からすれば。
途中でちから尽きてもいいんだよ、勝利者である必要もさらさらない。
そんなことをマイケルの姿で教えてもらった気がした。
映画はもうひとつの物語と、まったく接点のないまま、動いてゆく。
そしてその世界もまた、モノマネ集団(インパーソネーターと呼ぶ)と
同じように挫折する。
その儚さを見るに、やはりコレはコレで美しいのだと涙しながら納得する。
天使は首をすくめ、挫折した者たちの冷たい頬をなでてあげるだろう・・・。
SSさん、ちょっとショッキングだったけど、すてきな映画を
紹介してくださってありがとうございました。
映画はどのシーンも美しかったですね。
スカイダイビングの空は悲しいくらいに蒼かったし、
舞台の設営にいそしむ彼らはこどものように無邪気だった・・
予定調和でないものがたり、それもまた美し、と思いました。