ルワンダの涙
恐ろしい映画でした。約1年前に公開された映画。
今からほんの14年前、ルワンダで何がおこったのか。
報道特集でドキュメンタリーを観たのですが、
概要しかわからず、なにが起こったのかを知ろうと思いました。
(2008-01-06)
(あらすじ)
英国人青年ジョー・コナー(ヒュー・ダンシー)は、
自分だったら何かを変えられるという信念を抱いて、
海外青年協力隊の英語教師としてルワンダにやってきた。
英国ローマン・カソリック教会のクリストファー神父
(ジョン・ハート)によって運営されていた公立技術専門学校
(ETO)に赴任するが、ルワンダではフツ族とツチ族とが
長年に渡る部族間の争いが続き、
世界各国から派遣された国連治安維持軍(UN)が監視をしており、
学校もベルギー国連軍兵士が駐留していた。
不穏な動きの情報があるものの、
学校の中は生徒たちの笑い声は絶えず、
平和そのものに見えていた。
だが、その平和も一瞬の出来事から地獄の時を迎えることとなる。
1994年4月6日の夜、アルーシャを介とした停戦協定を結ぶために、
フツ族出身のハビャリマナ大統領が乗った飛行機が何者かに撃墜される。
もしかしたらクーデターかも知れないという噂が広がり、
学校はそこが非戦闘区域である事を宣言し、
国連兵士たちが生徒たちを守る為に学校を取り囲む。
部族紛争がはじまり、彼の学校が大量虐殺〔ジェノサイド〕から
逃れてきた何千という難民の為の避難所となった時、
ジョーは彼のお気に入りで最も成績優秀な生徒マリー
(クレア=ホープ・アシティ)に、
国連軍が必ず君たちを守ってくれる、と約束する。
しかし学校の外では過激派民兵〔ミリシア〕による
血みどろの虐殺が繰り広げられていた。
そして国連軍がもうこれ以上難民を保護できないと手を引いたとき、
ジョーと学校長のクリストファー神父は人生最大のジレンマに立たされる。
彼らもまたその場所を立ち去るべきか、
それともルワンダの人々を守る為に立ち上がるべきかと。
国連軍のトラックが不安におびえる難民たちの群れをかき分けて
退去してゆく中、ジョー、そしてクリストファー神父はある決断をする・・・・
(公式HPより)
絶望のなかにあって、ひとは何をよすがとして生きればいいのか。
そんなことすらも判断する猶予を与えられない局面でした。
民族が違うというそれだけで、肌のいろが同じなら、
瞳のいろも語ることばも変わらない2つの民族。
身分証だけで自分とあなたの区別がつく・・その違いは何ですか?
公立技術専門学校から国連軍が撤退したとき、
中立地帯としての学校の聖域はその立場を奪われました、永久に。
国連軍が撤退する前、ツチ族のある父親は「あなたたちの手によって
殺してくれ。なたで殺されるのはいやだ。死ぬまで時間がかかる」
そう訴えるのです。なたをもって容赦なくこどもにも襲い掛かるであろう
フツ族を想って父親は「子どもたちだけでも殺してくれ」と
泣いて訴えます。信じられますか、わが子を殺してくれと頼む親心・・。
「私たちには命令されていること以外、なにひとつ為すことを
許されていない」と国連軍の現場代表者がいいます。
こどもを目の前で残虐に殺されるまでの時間を待つだなんて・・。
世界は見捨てたのでした。黙殺したのです。
この映画はツチ族の、虐殺を免れたひとたちも制作に
参加しています。それぞれ肉親たちをどこでどんなふうに失ったか、
映画の最後に出てきます。
いわば半ばドキュメンタリーでもあるのです。
ツチ族の少女マリーが「私たちを見捨てるのか?」と問うのは
何も青年海外協力隊のジョーそのひとにだけではないのです。
ジョーのむこうにひろがる世界なのでした。
国連軍のトラックが去っていった瞬間から始まる地獄絵図。
まるでゾンビの大群でした。
でも、クリストファー神父はこどもたちを護るために、ひとり
現地に残るのです。その崇高な姿には震えます。
フツ族が、ツチ族が、という問題ではありません。
このような民族問題が消滅したのではない、現在もこの世界のどこかで
繰り返されているのだという意識をもつのが大切かと思います。
極限にたったときの人間はどうあるのか、どうなってしまうのか、
現実に起きた事件をこころに刻むために、
ご覧になることを願ってやみません。
公式HPはここから