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広島《清盛》旅行?。厳島神社。2012-09-16

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広島《清盛》旅行?。
    厳島神社。
       2012-09-16

厳島神社参拝を翌日に控えて、ホテルへ。
ホテルにはびっくり、松山さんのサインがあったのです。
オットが予約したホテルなので、その偶然にはたまげました。でかした、いいひとだ(笑)
鶴瓶さんの番組「家族に乾杯!」ロケで泊まられたんでしょうね。
そう思うと、ホテルのロビーとかテラス(3階にあるんです)とか、
松山さんがご覧になったんだなあと、しげしげと眺めましたよ(笑)

で、話は少し戻るんですが、
音戸の瀬戸から帰ってきて、まだ少し時間があるというので、
そのまま呉にとどまり、入船山公園に行ってみることにしました。
たしか、福山さんか誰かが、
あそこでコンサート開かれたような記憶があるんですが、
ご存知の方、教えてください^^

とっても広い公園で、静かなんです。
こういう場所があるのっていいよなあ、とももと言ってました。
10年すこし住んだ奈良にも平城京址というすばらしい遺跡がありましたけど、
こっちはもうすこし時代が下るというか、
でも由緒あるところみたいです。調べたら、
703年(大宝3年)から亀山神社が、近代は1889年(明治22年)から呉鎮守府司令長官官舎、
戦後になると1956年(昭和31年)までイギリス連邦占領軍司令長官庁舎が置かれていた場所
だったのだそうです。それを、公園として整備したのだとか。
あいにく、美術館はお休みだったのですが、
呉鎮守府司令長官官舎、こっちの方が公開されているので入りました。
海軍の本拠地である呉は、外部者にとっては(戦争のために)皮肉なことに、
興味をそそられる素晴らしい場所が多いように思います。




日本風家屋もあって、そちらは靴を脱いで上がることもできるんです。
ホテルには6時には着きたかったので、長居ができなかったのが残念。
縁側があってそこで寛ぐこともできるんですよ。
いつか、大和ミュージアムに行かれる方はぜひ、こちらにも足を伸ばしてみてください。
おススメです。



さてさて、こちらはホテル3階のテラスから見た海です。
夜にはこちらでバーベキューをいただきました。
風があって気持ちよかったです。
ホテルからは宮島ナイトクルーズだっけな、45分クルーズがあったんですが、
バーベキューを楽しんだので時間押しになってしまいました(笑)
写真を撮ったんですけど、うまく撮れていませんでした。残念。
イカ、海老、ホタテ、お肉満載のプレートで、思いっきり堪能!
最後は家族で肉を食べろ食べろと押し付けあうほど、大満足。
松山さんが来られたのは11月だったから、
バーベキューは無理だったんでしょうね。
私は苦手なアルコール、だが《宮島ハイボール》の名前に釣られてチョイス。
甘くなかった、しくじったぜぃ(笑)
ももがてきぱき食器のかたづけやテーブルの掃除をやったりするので、
係りのひとが恐縮してたけど、私はこころのなかで、
「それ、家でやれっ!」と思っていました(笑)



朝のバイキング。私は和食です。
カロリーを気にしているくせに、大食いです。
旅はひとを大胆に、いえ、無謀にさせますね(笑)



こちらは宮島へのフェリー船中から。
晴れ渡って気持ちがよかったのですが、暑かった。
出航直前になって最前列が空いた理由は5秒でわかりました(笑)
正面に見えるのが宮島です。


こちらは厳島神社の大鳥居。
随分大鳥居の近くまでいけるんです。
私も下りてみました。
足元にとってもちいさなやどかりとか巻貝がいっぱい。
蟹もいたそうですよ。
レタスの葉っぱみたいな海草があたり一面にありました。
地面が緑っぽく見えているのはそのせいです。

こちらは満潮を迎えた大鳥居付近。
干潮満潮の両方の景色を見られて、我ら家族は感慨深かったです。
この大鳥居、脚の部分?は空洞になっていて、
中に松の木がたくさん入っているそうです。
そして、その上には石の円盤みたいなものでフタがされていて、
鳥居の上の部分にはお経の文字を書いた石が7トン分入っているとか。
その重しのせいで大鳥居が倒れずにすむのだそうですよ。




回廊と本殿のようすです。
ここの手前の平舞台でも、満潮対策として、
舞台はいかだのように浮く構造になっているそうです。
そして、舞台の床板の部分にはすきまがあいているのですが、
そこから波を逃がすらしい。
なるほどですねー。
厳島神社は海賊と浅からぬつながりがあったそうですが、
なぜかというに、海の干満や天候のことなど、
海賊が一番よく知っていて対策もわかっていたからだとか。
だからこそ、平家も海賊と手を結んだのだということだそうですよ。
信心のほかにも、平家にとって実利的に重要視せざるを得ないものだったのですね。

写真はないのですが、オットとももはパスした宝物殿、入りましたよ!
そこには、平家納経の模造品などが展示されていました。
(やっぱり本物を清盛展で見といてよかったなーと^^)
清盛が一族で奉納するときに書いた《願文》が展示されてました。
そこに、一族でこれを奉納しますので我らをよろしく、
みたいな内容がしたためられてもいるわけですが、
《重盛》《頼盛》《教盛》《経盛》の名前が書かれていまして、
ドラマでも何かと対立したりするひとたちについては、
きちんとこころを砕いている清盛の姿がちらりと見えたような気がしました。

それから、印象的だったのは、常盤御前の一幅の絵。
なんと胸元に錠がとりつけられているんですよ。
母恋しさに夜泣きする牛若の胸元にこの絵をかざすと夜泣きがおさまった、
という伝説があるそうですけど、
その時代にこんな錠があったのか?
絵に錠をとりつけるなんてアバンギャルドすぎるやろ、としばし呆然としてました(笑)



例によって、平清盛館の外観を映してなくてごめんなさいです。
ここの展示館は平清盛のみならず、大河ドラマの歴史、みたいなものも見学できます。
まるで民俗学博物館みたいな。
「え、まじ、これが平清盛館?」と思ったくらいなんですが、


記念撮影できるスペースもちゃんとありました。
しかし、松山さんの写真もいいけど、
神戸のドラマ館の蝋人形、あの人形との2ショット撮影は値打ちありですねー。
と思ってしまいました。蝋人形ですけどね(笑)
ドラマ館におられるボランティアの方々、入り口出口でもマップを手にご活躍。
道を尋ねる我ら旅人にもとっても親切にしてくださいました。

こちらは清盛神社です。
ももは厳島神社の鹿が奈良の鹿よりフレンドリーで大人しいというので、
鹿ばっかり追い回していましたが(もうすぐ20歳だというのに)
小鹿には怯えられていました。まだ人なれしていないっていうのが自然でよかったですけど、
もも的には鹿せんべいが売られていないのが納得できなかったようで。
おなかすかないのかな、大丈夫かな。と。
むしろ与えすぎるほうがよくないのでは?と私は思うのですけど、
鹿さん、ちゃんとお食事できてますか?



なんと、こんなところにごっしーが!
思わずテンションあがったのですけれど、
ごっしーお手植えの松が明治初期までたっていたというのが、
すごくないですか?
でもって、倒木となっても現代までその姿をとどめているというのに
感激してしまいましたよ。
そりゃあ、今後のドラマの行方を思うと、複雑な心中ではありますが。



はてさて、宮島は厳島神社だけではないのです。
その奥にある弥山(みせん)も厳島神社とともに世界文化遺産に登録されています。
時間があるので、登ってみようということになり、ロープウェイに乗り込みました。
オットは高所恐怖症なので、私とももにいじられて、怖くないふりをするものの、
最後は「こわいよぅ」を連発。ももはそれを動画にして記録してましたよ(あははは)

さて、弥山は1200年前に弘法大師が開山してから、宮島のご神体として、
崇められてきた標高535メートルの山で、
原始林や神秘的なスポットが点在するパワースポットとしての人気も高いのだそうです。



ここはロープウェイから20分!登ったところにある霊火堂。
弘法大師が炊いた護摩の木が1200年たった今も消えない「消えずの火」を安置しています。
広島平和記念公園の灯の元火にもなったのだそうです。
家族代表でももが下段左側のろうそくをたてました。


霊火堂のたつ場所から眺めた瀬戸内海。
美しいですー。
20分登ってきたかいがありましたよ!
ここのお堂には重盛由来の鐘もありました。

あと10分登れば、360度のパノラマを堪能できるとのことでしたが、
体力には限界というものがあるのだよ、
てなわけでここでリタイアしました。
元気な方はぜひ、頂上の展望台まで行っていただきたいです♪



弥山から戻ってきたら、満潮になっていました。
上で比較のためにあげた写真はこのときのものだったわけですが、
とても同じ場所とは思えないですよ。不思議ですよね、干潮満潮は。



以前から興味があった《揚げもみじまんじゅう》、トライしてみました。
巨大すぎるやろ、の写真、ごめんなさいです。
もみじまんじゅうってどちらかというと好きではないのですけど(スマソ)、
揚げてあると皮の部分がサクサクしてて、バリウマです!
むしろ、もみじまんじゅうは揚げるべきやろ、と思ったくらい。
ひとつ150円と決してお財布には優しいとは思えないのですけど、
食べてみてソンはない感動がありますぜ^^


とあるお店で注文の品が出てくるまで待機。
いろんなチケットでプチ感慨にふけっておりました。
そして、出てきたのが、

広島名物、お好み焼き。
あなごめしを食べたかったんですが、
我が家の男子2名はあなごが不得意で食べないというので、
それならば、と宮島では数少ないお好み焼き屋さんに入りました。
美味しそうでしょ。
大阪のお好み焼きとはまったく別物で、
だからどっちが美味しいか、というのはナンセンスです。
最初にクレープのようなうすい小麦粉の生地を焼き、
そこに豚肉ととっても繊細なきゃべつの千切りともやしを載せ、
そのうえに、中華麺、そしてまた小麦粉のクレープをかぶせてあるんですよね。
大阪のお好み焼は生地とみじん切りしたキャベツをまぜまぜしちゃいますから。
大阪が粉もんとしたら、広島のは野菜もんと呼びたくなるような。
いやー、広島のお好み焼き文化に感謝したくなりましたよ。美味でした!

その後、お土産を買いにぶらぶらしたのですが、
ももが広島ならではのお話を聞いたそうです。
とあるお店のおばあさんが、
ももにどこから来たの?と聞いたので、
大阪ですと答えたら、
大阪の万博に行ったことがある、ということでした。
なんでも被爆者手帳を持っているから、
どの展示館も並ばずに入ることができた、とか。
そして、おばあさんの被爆者手帳を貸してくれと、
たくさんのひとに言われて、手帳が返ってきたらぼろぼろだったとか。
時効ですよね。
でも、その話を聞いてじいんとしました。
やっぱり広島で原爆にまつわる話はまだまだ日常で語られるんだなあと。


広島を出たのは6時頃でした。
今回は平和記念公園にも行けませんでしたが、
広島のいろんな顔を見ることができたような気がしました。

PAのたびに車から降りて、適宜に休憩をとり、
無事に帰ってまいりました。

大河ドラマ《平清盛》の年に、オット主導で、
楽しい平清盛紀行旅ができて幸せでした。
これからも家族3人で旅行に出かけられたら最高だな、なんて思いました。
歳とともにオットには負担をかけますけどね(と万年紙運転手は言う^^)


・・・長い記事におつきあいくださいまして、
ありがとうございました。





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