ペ・ドゥナさんが最高に可愛くて、せつなくて、
こころのどこかがちゅんと泣く映画です。
(既出2010-08-31)
人形の目線で
生まれたての目線で
世界を視る・・・《空気人形》
2010-08-31
空気人形 予告編
Air Doll (空気人形) Trailer
秀男という中年の男と暮らしている人形、
ある日、その人形がこころを持ってしまいます。
部屋の中、太陽がさして、ベッドを下りた人形の影を
壁にやきつけるのですが、その横顔は影が透けていました。
窓辺で、雨水を手の甲にうけて、
彼女が初めて発することばが「きれい」
彼女は風にすそが揺れるメイド服を選んで着ます。
おぼつかない足取りで生まれて初めて、
外を歩き出すのです。
街は輝いて見えました。
なにもかもをこころに映してゆきます。
そして彼女はレンタルショップに通りがかるのでした。
レンタルショップには店長と、純一という店員がいました。
純一は彼女にさまざまなことを教えてくれます。
映画の話、こころの話・・。
(純一)
「いつかは死なないと 世界がいきものであふれちゃう」
彼女は夜更けの公園へ自分を連れ出した秀男がそうしてくれたように
バスの酔客に肩をかしてあげます。
ラムネのビンを蛍光灯のひかりにかざします。
からんからんと素敵な音が響いて、
そのがらんどうの透明は綺麗です、
彼女のお気に入りなのです。
(彼女)
「空気人形 型遅れの安物です」
自分が入れられてきた箱が秀男の部屋にありました。
高層ビルを眼前にする空き地で、彼女は老人に出会います。
(老人)
「かげろう 親になると1日か2日で死んでしまう
からだのなかはからっぽでただ卵だけをもっている
人間だっておんなじだ くだらんよ」
(老人)
「いのちは自分自身だけでは完結できないようにつくられているらしい
花もめしべとおしべがそろっているだけでは不十分で
風がなかだちをする
いのちはそのなかに欠如を抱き、それを他者から満たしてもらうのだ」
(彼女)
「こころをもつことはせつないことでした」
レンタルショップで、彼女は足をどこかにひっかけてしまい、
そこから空気が漏れ出します。
純一は驚くけれど、とっさにセロテープで傷口をとめ、
彼女のおなかにある空気弁から空気をいれて、満たしてやります。
秀男は彼女とは別の人形を部屋に迎え入れていました。
ちいさないちごのショートケーキでそのお祝いをしていました。
隠れていた彼女が現れ、秀男は仰天します。
秀男は彼女を迎え入れた時もお祝いしたのだとアルバムを差し出します。
彼女は「私のどこが好きだったの?」と尋ね、
秀男は「頼むから人形に戻ってくれ」と言うのでした。
こころをもつと彼女は苦しいと言い、
こころは面倒だと秀男は言いました。
彼女は「性欲処理のための代理品」と自分を呼び、
自分を作った工場に出かけてゆきます。
(製作者)
「なぜかって、きっと人間をつくった神様にも
わからないんじゃないかな
なんでこころを持ったかなんて
こころなんてもたなきゃよかった?」
(彼女)
「わからない でも苦しい」
製作者の男は彼女にていねいに、
ルージュをひいてやります。
(製作者)
「君が見た世界は悲しいものだけだったかな
すこしはきれいなものもあったかな」
彼女はうなずきます・・・
(製作者)
「ならよかった」
(彼女)
「うんでくれてありがとうございます」
(製作者)
「こちらこそありがとう 行ってらっしゃい」
製作者は彼女の後姿を見送るのでした。
からっぽという彼女は、
街の中でさまざまに孤独を抱えるひとと交差しました。
彼女とはまたちがった孤独(からっぽ)を抱える純一と彼女たち。
(彼女)
「私誰かのかわりでもいい」
(純一)
「君が誰かのかわりなんてことはない」
純一と彼女はせつなく愛しい、悲しい恋におちます・・・・。
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この映画は《食わず嫌い》になりそうでした。
何のために作られた人形かを考えると、躊躇したのです。
映画にもそういう場面が出てきます。
でも、秀男は彼女をたしかに愛していました。
彼女を慈しんで、彼女を大切にしていました。
でも、こころがあると面倒だという・・。
こころとはいったい何なんでしょう?
ペ・ドゥナは本当にこころを持ってしまった人形のようでした。
たどたどしい足取りで彼女が歩き始める時、
まるで私も手垢のついていない世界の入り口に立ったようでした。
でも、彼女は男性が可愛がるためにだけ作られた人形、
なんの罪悪感も感情もまじえずに、誰かに身をまかす存在でもありました。
それがこの映画を単なるファンタジーではなくて、
世俗と聖なるもの、両方を併せ持つ、稀有な美しさで満たしていると思います。
秀男を板尾創路さんが演じています。
ともすれば、気持ち悪い中年、だけで終わりそうなところを、
仕事はあまりできないけれど、人形をひとりの人間のように愛している、
難しい役どころをとても素晴らしく演じていらっしゃいます。
彼が冒頭に出てくるとき、それがこの作品の最大の賭けだったのではないでしょうか。
純一をARATAさんが演じていらっしゃるのですが、
この方の、言葉にできない寂寥と虚無のようなものが、
優しさの奥に見え隠れして、彼女と孤独の質は違うのだけれど
響きあうのがとても自然だと思いました。
人形の製作者をオダギリジョーさんが演じていらっしゃいます。
「みんな同じ顔だったはずなのに、ここへ帰ってくるときは
別々の顔になっている。どんなふうに愛されたかがよくわかる。
つまり、それが彼女らにもこころがあるっていうことなのかもしれない」
彼女の悲しみを汲んでやり、また出かける彼女に、行ってらっしゃいと
勇気付けてやる、彼がそそぐ慈愛のまなざしは、
観るものをも癒してくれるようでした。
店長には岩松了さん、そして彼女に執着をみせる店員には柄本佑さん、
もうひとり、彼女と響きあう老人を高橋昌也さんが演じてらっしゃいます。
ほかにも富司純子さん、星野真里さん、余貴美子さんなどが、
それぞれの孤独を演じてせつないです。
映画の最後のほうで、彼女の最大の幸福と悲しみを同時に、目撃します。
きっとそのとき、涙を禁じえないでしょう。
その涙が何の涙なのか、
私にはよくわからないのですが、
この映画は一生の宝のひとつになると思いました。
監督は「誰も知らない」の是枝監督です。
こんなに素晴らしい映画を世界にありがとうございます、と
お礼を言いたくなりました。
もちろん、
一番のお礼はペ・ドゥナさんに。