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《そこのみにて光輝く》綾野剛、池脇千鶴、菅田将暉の名演と脚本の残念さ。2014-05-03

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ネタバレばりばり、です。
原作を読んでいない方にはわからないと思いますので、スルーを。
★★★あくまで個人の感想です。脚本には辛口です。あらかじめご了承くださいませ。
2014-05-03

《そこのみにて光輝く》
綾野剛、池脇千鶴、菅田将暉の名演と脚本の残念さ。



1日、「そこのみにて光輝く」を観に行ってきた。

映画の日だったので、朝1回目の上映なのにたくさんのひと。

綾野さんのファンも多いとは思うけれども、

「海炭市叙景」という素晴らしい作品が過去にあったので、

観に行ったファンー原作者の佐藤泰志さんのファンだったり、

あの物語の続編のように待ち望んでいたファンだったり、も多いのではないかと思う。


あらすじは割愛するとして。→http://hikarikagayaku.jp/contents.html


綾野剛さんと池脇千鶴さん、菅田将暉さんの演技は素晴らしかった。

綾野さんはどんな人間でも、違和感なく、というより、

《綾野さん》がそれぞれの人生を実は生きているように演じてしまうけど(笑)、

だから、すべての役が綾野さんの十八番の役に見えてしまうのだから、

始末に悪い(笑)


池脇さんも上手いなあ。

からだが肉感的であるのがさらによい。

リアリティを与えている。からだもそのままで演技しているんだな。

ブラジャーのホックを後ろ手でとめたりして、

そのときにかすかに震えたり豊満に食い込んだりするさまが、

そんじょそこらの、体型をキープしているやせぎすな女優さんには出せないのだ、

その現実感と、バラック小屋での暮らしのリアリティが。

原作を読んでいるとき、菅田将暉さんが演じる拓児は、実写化する段になると

実は一番人選に悩む存在なんじゃないかと思っていた。

菅田さん演じる拓児を《天使》と書いているコメントをちらっと観たけど、

実に言い得て妙だと思った。

そして菅田さん自身が天使の魅力を振りまいていた。

原作を読んだとき、達夫からライターをもらっただけで

平気でバラック小屋の自宅に達夫を連れ帰る拓児がいた。

他人から過干渉されることを嫌っている達夫は拓児だったからこそ、

彼の家族に引き入れられてしまったのだ。

そのことを納得させてしまう、歯の汚い天使(笑)

彼の登場でこの作品の成功は早くも約束されてしまったな、と思った。

拓児が聖なる《内面》と俗なる《日々の暮らし》をつなぐ。

原作では鉱山の採掘権をもつ松本を達夫に引き合わせたのも拓児だった。

松本は達夫がほれ込む、というか、同調できるような人物で、

映画のような上司ではない。

加えていうなら、達夫が元いた職場で、何故やめたかと言うと、

自らの言葉で若者を死なせてしまったから、ということではない。

リストラを進めようとする会社と、食い下がろうとストを打つ組合との中で、

自らを搦めとろうとする組合に嫌気がさしてやめてしまったというか、

大きな組織の中で自分という存在が自らの意思とは関係なく動かされることに

辟易してやめてしまった、・・のではないかと思うのだ。


だからたとえ映画と小説とは別物であるとは言っても、

達夫が組合活動や会社からドロップアウトしてしまう気持ちは大切だと思ったのだ。

若者を死なせて後悔の念にさいなまれ、悪夢を見るというのでは、

達夫の内面は置き去りにされてしまうのではないか。


拓児は傷害事件を起こして、保護観察の身。

小説では千夏(姉、池脇さん)の前夫だが、映画では不倫相手である植木屋が身元引受人で、

その縁を断ち切りたいがために山に行きたいということになっている。

納得できる意味づけになっている。

でも、拓児がユートピアのように山へ行くことを夢見るのを見ていて、

達夫が《ぎらぎらした生の世界》=山、と位置づけ、

家族となった千夏や娘(原作で登場)を置いてまで行こうとするのは、

自らの内面の欲求なのであって、拓児とは違うかもしれないけれども、

自らを賭けられる《新世界》なのだと思う。


だから、かつて自分が所属していた世界に戻るのとは決定的に違うと思うのだ。


一方で、千夏と拓児の家族の物語は原作に忠実に描かれていて、悲惨をきわめ、

同時に、家族を思う気持ちが、極限の異常な世界でも貫かれていて、圧倒的だ。

認知症の父親が性への欲求だけで生きているような状態で、

それを押さえつける薬を服用させると、脳がより早く破壊されてしまうからと、

母親と千夏は父親にそれを飲ませず、父親の性的欲求を満たすことを引き受ける。

家族が寝起きする小屋の一室で、だ。

究極の、愛だろう、これもまさしく。

原作が父親の死のその後に達夫に《山に行く》判断をさせているのにたいして、

映画では父親が存命で、千夏がその性処理を担うこともある状況下で、

決めさせているのが不可解だった。

そういう状況で千夏をそこに置いてゆけるのかという。


拓児の、姉を思い、姉を侮辱する相手に傷害事件を起こしてしまい、

山に行けなくなってしまう気持ちは原作と同じに、きちんと描かれている。


より常識的と思われる千夏が父親を見捨てず、

聖と俗の両方に立つような拓児が、家族を救うために、

自らの、新しい居場所への旅立ちを捨てる、その愛情がせつない。


原作では松本(映画では火野正平さん)の魅力も大きかった。

拓児が引き合わせる人物だ。

松本も達夫と似通っていて、だからこそ、拓児を切り捨てられない。

そこが映画ではまったく赤の他人の設定となっていて、

残念極まりない。松本は本当に魅力的だったのに!!!



佐藤泰志さんが原作を書いた「海炭市叙景」は、

佐藤さんの描いたひとびとをそれぞれ更に深く描いて、原作を凌駕していたと思うが、

今回の作品は残念だ。

映画を観たひとには原作をぜひ読んでもらいたい。

達夫がどういう人間で、どうして山に行こうと思ったのか、

千夏がなぜそれを許すのか、小説世界に自ら飛び込んで理由をたしかめてほしいのだ。








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