チェルノブイリ博物館、
被災者支え20年。福島原発事故で注目。
【キエフ時事】史上最悪の被害をもたらした旧ソ連チェルノブイリ原発事故の記憶をとどめる
ウクライナ首都キエフのチェルノブイリ博物館は、昨年3月の東日本大震災と東京電力福島第1原発事故後、
日本人を中心に来訪者が急増している。被災者の支援の場でもある博物館は今年、事故日の4月26日に
開館20周年を迎える。
同館は1986年の事故当時に「リクビダートル」と呼ばれた事故処理作業員の防護服や、強制移住を
余儀なくされた「原発城下町」プリピャチの住民の思い出の品などを数多く展示。
日本政府の支援で、作業員らの電子名簿閲覧システムも整備されている。
博物館の副館長アンナ・コロレフスカさん(53)によると、近年日本人の来館者は年間200人前後で
推移していたのが、福島原発事故があった昨年は代表団視察などを中心に約2000人と10倍になった。
同館は入り口に、ウクライナ人と日本人が「悲しみと祈り」を共有するモニュメントを設置した。
原発事故から四半世紀となった昨年からは、離散した原発周辺の元住民の再会事業に着手。
今月4日に行われた2回目の企画には、現在キエフなどに住む70人以上が参加し、
約25年ぶりに無事を確認し合い、涙を流す人もいたという。
[時事通信社]
チェルノブイリ博物館を訪れた人のブログを読ませていただいたのですが、
当時防護服として着られていたものは、あれでは放射能は防げないだろうというもの、
また、避難されていかれる様子も、切羽詰った印象ではなかったそうです。
チェルノブイリ以前にあれほどの事故は起こっていないわけですから、無理もありません。
福島の原発事故が起こったときには、チェルノブイリがあったわけで、
ですから、多くの人が博物館を訪れたというのも腑に落ちますよね。
この後、どういう経過をたどるのか、その博物館に行けば、なんらかのことが
わかるのではないか、そういう思いなのでは。
昨年春、テレビでチェルノブイリ事故後を訪ねた特集があったそうです。
私は観そびれたのですが、動画がありましたので、
ご興味のある方にご紹介します。
石棺は覆っただけで、放射能物質を無害に変えられようはずもないのですね。
チェルノブイリ 2011