写真は送り出しのとき。ラスト舞踊《JOKER》の衣装で。
都若丸劇団 於 朝日劇場 2015/7/29
若丸座長の芸術《桜》(森山直太朗)
私にとっての千秋楽でした。
9月には梅田に帰ってくるとわかっていても、
やっぱり淋しいものです。
あそこに行けば毎日会える、そういう安心感って、すごく幸せ。
私が行くのはほとんどが昼の部。昼夜行けたらまた違いもあったりで面白いのにな。
芝居って生き物ですもんね。
しかも、この日、サプライズゲストで大川良太郎さんが舞台で踊られたそうで、
そりゃあ、盛り上がるわなー。
通常、千秋楽だけのアンコール、この日はあったか。いいないいな。
でもね、どんな時でも若丸座長、軽く流す、なんてことをしない表現者ですから、
お昼の部もよかったですよー!
あ、その前に、初めて気づいた、笑福亭鶴瓶さんからのお花。

毎月、ちがったお花が届くんですって。
若ちゃんの人脈が広いというか、鶴瓶さんの人脈が広いというか^^
ふたりでお話しされているところを見たいぞ~。
お芝居は

ちなみにこんな似顔絵も飾ってありました。
毎月、座長さんのお顔が似顔絵になってます。

《関東嵐》、前にも1度観ましたが、
1時間くらいのお芝居で、人物の描き分け、起承転結の運びと説得力、芝居の力点の置き方がすごいな、と思います。
ひとつの土地にやくざの一家がふたつ。
悪名高い親分(剛さん)が子分を引き抜いた上、一方の親分(キャプテン)を惨殺します。
生き残った子分(星矢さん)が相手方に移ってしまった姐御(ゆかりさん)の置き去りにした乳飲み子を抱え、
復讐のときをうかがいます。そこに帰ってきたのが凶状旅から戻った二代目(若丸座長)
二代目は旅がらすの姿で一家に入り込み、旅の話をしながら、親分たちの悪行に気づかせ、
最後には見事復讐を果たす、・・という物語。
シリアスでありながらコメディの部分も多くて、
こないだは剛さんまでアドリブとばして、の展開でした。
同じ芝居でも日によって見せ所、見所が違うというのは素晴らしいです。
今後は新作を実験のように見せてもほしいなあ。などとわがまま(笑)
芝居からさかのぼって、顔見世ミニショーのとき、
若丸座長が舞われたのは森山直太朗さんの《桜》でした。
真っ白な紋付はかま、そして白髪長髪のかつらで、凛々しく穢れなく、美しかったです。
かっこいい若丸座長、かわいー、と思えるような舞踊も大好きですが、
若丸座長の真骨頂というのは、舞台を通じて、見えざる芸術の神に、
舞踊を奉納するかのように舞われるときだと思います。
もう、15劇団も観てきましたが、
若丸座長のように、観ている客席と芸術という非日常のはざまにたって、
真摯に、両者をつなぐ奉納者という役割を果たすひとって、ほかにはいなかったです。
まさに唯一無二の絶対的存在。
舞踊のための曲が、舞踊によって言霊を宿し、その意味を深く投げかけてくる、
そういう存在である若丸座長は大衆演劇を高みにひきあげる巫女的存在なのかも、と思います。
もちろん、若丸座長は一方で、大衆に寄り添い、その苦労や悲しみや怒りを、
お芝居でいたわり、昇華させ、元気へと変えていく、
ゆえに喜劇や人情話をとても大切にされているのでありますが。
お話もどって、《桜》、
森山さんの美しい歌唱と若丸座長の祈りを捧げるような舞踊、
ラスト近く、若丸座長が客席に背をむけると、
両側から花吹雪がぱーーーっと、水平に流れて、感極まりました。
見えざるものへの祈りが結実した瞬間、のように見えました。
舞踊ショーのことについてもあれこれ触れたいのですが、時間がないので、
今後のお知らせだけ。
9月日梅田呉服座の初日ですが、《若丸祭り》をやるそうです。
初日ったら、誰もが見たい日なのに、そこに《若丸祭り》をぶつけられたら、
予約がとれないよー、若ちゃん!どうしてくれるんだ(笑)
そして、ミックスジュースの時、
剛さんの20周年特別公演を来年やろう、と若ちゃん。
剛さんが「ちょっと待って、待ってくださいよ。
そういう大事なことをなんでいつも舞台で発信するんですか。
身内でかためてからにしてくださいよ」
若ちゃん「え、やりたくないの?」
剛さん「いえ、やりたいです!」
若ちゃん「だが断る」
・・・てな具合(笑)
でも、結局、やろうよやろうよ、ということになってましたよ。
大阪で行うそうです。といいつつ、新開地かなあ。(年2回、来年もあるとするならばね)
また時間があったら追記します。
ほんっと、時間がなくてすみません。
(夜は翌日の用意したら、もう寝オチしてしまう毎日。ううう)