あきらめること、
折り合いをつけること、
自分らしくあること。
今日は岡山で若丸祭り。
新幹線で1時間。
1時からだったか、の昼間の舞台を見れば、
普通に帰ってこられる。
明日と明後日は仕事の都合で早朝6時に家を出る、
帰宅が午後10時になるのだけども(笑)、
もともと友だちと約束もあって、それがキャンセルになったので、
行けないことはないのだ、
行けちゃうのだ、
けど、やめた。
ブラックな勤務状況が続くシフトで、
気持ちがからだを置いてけぼりにすると、
しっぺ返しをくらうのは目に見えている。
強行軍に耐えられる体力と気力がほしいなあ、などとないものねだり。
だけど、
あきらめること、折り合いをつけること、と
自分らしくあること。がかちっと合致しないとしても、
長年、それなりに使い込んできたからだとこころを、
大事にしてやらないとな、とは思うのだ。
今朝、21歳のアイドルの女性が、闘病のすえになくなったことを知った。
12歳のときから、ずっとガンと闘ってきて、
闘いながらアイドルとして生きてきて、
肺に転移してからも、動画配信を、亡くなる前日まで続けていた。
彼女の大いなる未来の喪失、
美しい彼女自身、唯一無二の存在の永久の喪失を思うと、
こころが痛んで、悲しくてやりきれないけれども、
その日その日で彼女が刻んだ動画は、
彼女の人生の一片であり、
ほかのものと比べる、というのではない、オリジナルな時間なのだと思った。
いや、それは彼女の想いから遠く離れた《ここから》の、
勝手な見方なのではあるけれども。
私は私の人生を生きる、
それは当たり前のことで、
数々の選択は遠いところから見ると危なっかしかったり、
まちがっているものなのかもしれないけれど、
無理やり納得するのではなくて、
あきらめるのでもなくて、
誰のものでもない1回きりの片道切符で、
旅して行こうと思うのだ。
アイドルで若くして亡くなった彼女は彼女にしかできないやりかたで
21歳の人生をまっとうした。
自分らしくあること、は、
恵まれているといないにかかわらず、
自分がどう考えるかで、決まるのではないかなと思う。
負け惜しみかもしれないけど、(笑)
《にんげんはどこにも行けない》
私の大好きな反語的表現。
哲学者の誰だったかがつぶやいた言葉だ。
病床にあっても、
過酷な毎日であろうと、
自由を奪われたような状況下にあっても(幸いそれは私じゃないが:笑)、
人間はいろんなツールを使って、
からだは無理としても、こころをどこにでも届けることができるし、
誰かを連れてくる事だってできるのだ。
それは文字ができるはるかはるか昔、
恐竜が闊歩していた時代も、
まだ見ぬ未来も、そうだ。
こころは何十にも分割できて(笑)、
申し訳ないけど(笑)、
家族や松山さんや若丸座長や友だちや、仕事仲間や、・・・・
ひとつしかないからだを超えて、
無限なのだなあと思う。
思うよ、思うことにした(笑)
ちょっとからだはきついから、
今日は若ちゃんをあきらめる(笑)
折り合いをつけて、自分らしい、だらだらとした一日をすごす(笑)
でも、健康が一番なので、
きっとそういうのが、一番幸せな《後悔》になるんだろうなあと思う。
《後悔》は悪、ととらえられがちだけど、
そうでもないんじゃないのかな、
その時の自分を守るためにしなかったこともあるんじゃないのかと思うし、
そのときの自分にはそれが救いだったのかもしれないよと、
《後悔》を断罪する言葉にはうまく説明できないけど、
そんなふうに思うのだ。
と、若ちゃんの《若丸祭り》に行かなくて後悔するだろう近い未来を思う(笑)
きっと、ブラックな環境に心配してくださるお友だちがたくさんおられるだろうと思うけど、
いつも心配してくださってありがとうございます、
でも、私は存外幸せなのでございます。
明日と明後日の6時出勤は少々きついけどね(笑)
心配しないでくださいね。
ほんとにいつもありがとうございます。
そうだ、近場の全国的にも有名な《ル・シュクレ・クール》で、
美味しいパンをたくさん買おう、
公園で食べよっかな。
みなさまも、素敵な週末をー!