若丸祭りには行けなかった。のだが。
若丸祭りには行けなかった。のだが、
お芝居ではなくて(って言うか、舞台で何をやったのかも見てないという)、
ドラマがあったのだ。って。
剛副座長が舞台に立てなかったらしい。
先日来の腰痛で。
7日、若丸34歳ラストディのとき、
昨日、舞台の上でのけぞった拍子に腰を痛めた、と聞いていた。
でも、送り出しの時にも笑顔で大丈夫って言ってたのに、
きっと、9日の、1年で一番大事な《都若丸誕生日特別公演》のために、
痛くても痛いといえず、我慢してたんだ、剛さん。
次の日から当たり前の全力投球の舞台がはじまって、
若ちゃんの、疲れてもあらたな気持ちでたつ舞台に穴はあけられないと、
連日頑張ったんだと思う。
私は13日に行ったけど、
剛さんは次郎長親分を演じて、立ったり座ったり、
当代一の親分として、姿勢よくかっこよかった。
あー、痛かったんだろうなあ。
ラスト舞踊の《百花繚乱》の美しい舞踊ったら。
そして、昨日、舞台に立てるわけがない状態になったのに、
ミックスジュースの時には、化粧した顔で舞台に顔を覗かせたとか。
若ちゃんは《今日は若丸祭りやからお前の分まで頑張るから休んでおけ。
お前がいないと淋しい》って言ったらしいよ。
いつも、あんなに剛さんのことをいじり倒すのに、
剛さんを少年のようにおろおろさせちゃうのに、
それは剛さんとの強い絆があるからなんだろうなあと思う。
私は若ちゃんと剛さんの《梅川忠兵衛》は見たことがないけど、
女形の若ちゃんとたちの剛さんが群舞のなかで相舞踊のように踊る姿にこころをうたれる。
たちのふたりで踊る時も、たとえば《百花繚乱》の時も、
周囲から際立って美しかった、
そこだけ別の空気と時間が流れているようで。
剛副座長が座長不在の時、座長公演を1ヶ月にわたってつとめるというのはあるけど、
若丸座長が剛さんのいない舞台にたつ、というのは考えてみるとまずないのでは?
1月、京都で座員さんが何人もインフルエンザや体調不良で戦線離脱しても、
剛さんはしっかり脇を固めたものなあ。
片腕をもがれたよう、な感覚を、祭りの日に味わうなんて、
若ちゃんの頑張り、いかほどであったかと思う。
剛さんを心配させまいとして、昨日の盛り上げ方、盛り上がり方は
きっとはんぱなかったのではないだろうか。
若ちゃんって、そういうひとだもんなあ。(と新米ファンがえらそうに言う。すみません)
ミックスジュースのことや舞踊のことは、
ツイッターのおともだちが連続ツイートしてくださったので、
手に取るようにわかった。すごくうれしかった。
でも、そのなかでも一番うれしかったのが、
口上挨拶。
《みんなバラ色ばっかりの人生じゃないと思う、
色んな思いを抱えてこの席についてくれてるんやと思う…》
というような言葉が出たらしい、若ちゃんから。
客席に何人座ってる、だけじゃなくて、
その座っている人たちの気持ちや背景にまで、こころを添わせてる若ちゃん。
こんな座長、ほかにいる?
いや、こんな役者さん、いるだろうか?
朝、息子にこの話をして、泣いてしまった。
さしたばかりの目薬のせいにした。
えらい(すごい)座長さんに出会ってしまった・・・・・・・・・・・