加瀬亮さんが出演で話題の映画。
ガス・ヴァン・サント監督の《永遠の僕たち》、観てきました。
今、公開中の映画です。ネタバレありです。ご注意ください。
(既出:2012-01-16 )
《永遠の僕たち》
「死」を見つめて後、
人生を紡ぐということ。
2012-01-16
冒頭のお葬式の場面。
アメリカでは故人の思い出を語る、というのがあるのですね。
日本では遺影にむかって語りかけるけれど、
向こうでは、教会での牧師さんみたいに、
参列者に向かって話しかけるという。
この姿勢の違いをまず感じました。
なんだろう、すごく現世的というのでしょうか。
喪失の痛みをみんな、生きている側でわかちあい、
生きている世界だけで完結しているというか。
主人公イーノック(ヘンリー・ホッパー)は臨死体験をした少年でした。
両親を交通事故で亡くし、自分だけが助かったのです。
彼は叔母に引き取られましたが、見知らぬ町で孤独でした。
彼は町で執り行われる見知らぬひとの葬儀に参列していました。
そこでアナベル(ミア・ワシコウスカ)と視線を交わします。
イーノックは生きる意欲に欠けているんですよね。
意識不明の状態が続いているときに、
両親の葬儀も終わってしまい、それからも、ずっと茫然自失の状態。
他人のお葬式に参列ばかりしていて、或る時、つまみだされそうになります。
それを助けてくれたのがアナベルでした。
アナベルは病院でボランティアをしていると言うのですが、
じきにそれは嘘とわかります。
彼女は余命3ヶ月の重病患者だったのです。
孤独なイーノックの唯一の友人は幽霊のヒロシ(加瀬亮)。
ヒロシは神風特攻隊で命を散らした若者でした。
ヒロシはイーノックにしか見えない存在。
ふたりは夜毎、ボードゲームなどに興じていました。
イーノックとアナベルはやがて恋しあうようになります。
イーノックにしか見えないヒロシを挟んで。
余命3ヶ月のアナベルは人生を愛し、自分の運命を受容し、
それどころか、残してゆくイーノックのことを心配する、
とても明るくて聡明で、こころの優しい少女でした。
ふたりがともにいられる時間は少ないのだけれど、
イーノックとアナベルは恋を育み、生きることの幸せを
ふたりで実感していくのです。
やがて、アナベルのその日がやってきて・・・。
この映画を観る前にハンカチを用意していたんですよ、
用意周到だ、どんなもんだい。てな具合に。
でも、1回も使いませんでした。
というのも、彼らがとても楽しくて可愛い恋人たちで、
幸せそうに見えたからです。
それはアナベルが亡くなったときもそう。
イーノックはアナベルに生きていくことの幸せを教えてもらったから。
ただ、1度だけイーノックがアナベルに隠れて泣くシーンがあるのですが、
そこで、イーノックが少年から青年に移ろう一瞬が見えた気がしました。
でなんで、特攻隊員がいるのか? それが謎。あ、ネタバレいいのかな。すみません。
特攻隊員のヒロシのほうがイーノックより年上なのに、
今から半世紀以上前の日本の男性ですから、清純なんですよね。
愛する人に思いを告げることもなく亡くなってしまったヒロシもまた、
ふたりが一緒にいる傍らで、(死者が成長するのかと問われると困るけど)
でも成長するんだと思うのですよ。
だからこそ、あのラストシーンへと繋がっていく(ここだけは内緒です^^)
イーノックとアナベルがとてもファッショナブルだし、美しいんです。
繊細で、なんだろう、ずっと昔の少年と少女みたい。
でも、アナベルはどんなファッションも素敵に着こなしていて、
アナベルの生き生きした姿を見るだけでも価値があるってくらいの物語。
ガス・ヴァン・サント監督の映画は「マイプライベートアイダホ」と
「パラノイドパーク」しか観たことがないのですが、
どちらも若者の危うさとせつなさを描いていました。
でも、この映画は美しくて、そして、どんな状況でもひとは人生を謳歌できるんだ、
それが長い人生を絶たれる少女であっても、ということを教えてくれます。
加瀬さんも素敵でした。
特攻隊員の精神性が、佇んでいるだけで現れているというか。
加瀬さんは英語が堪能なのだけれども、
あまりに流暢に話すと、日本人の特攻隊員という印象が薄れるからと、
わざわざカタカナ英語にしたところもあったとか。
そういう変わったご苦労もあるんですね。
原題はRestlessというのに、なぜ邦題が「永遠の僕たち」なのか。
それはラストシーンで明らかになります。
ときどき、感情を荒立てていたイーノックだけれど、
アナベルの死の悲しみを乗り越え、ともに歩んだ短い時間を
いとしむ青年に成長した場面ではとても感動を覚えます。
観終わったあと、素敵な恋人たちだったなあと、穏やかな気持ちで映画館を出ました。
もし、まだ上映中なら、これから上映されるなら、是非、おススメします。