感想、ネタバレありです。あらかじめ、ご了承ください。
【るろうに剣心】~伝説の最期編~
剣心、これで見納めはもったいない^^
2014-10-05
映画『るろうに剣心 伝説の最期編』予告編
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とてもラフな【あらすじ】です。(京都大火編感想から使い回し:笑)
明治維新前夜、討幕派側の暗殺者として活躍した緋村剣心(佐藤健)の
あとを継いだかたちの志々雄真実(藤原竜也)。
大きな手柄をたてたとき、それが後に外に漏れては新政府が転覆するような大きな陰謀であったため、
志々雄をめった切りにし、生きたまま、他の死者とともに焼き殺すのです。
焼き殺したはずの志々雄が奇跡的に甦り、新政府を滅ぼそうと、各地から賛同者を呼び寄せます。
一方で、幕府側のお庭番衆の頭目である四乃森蒼紫(伊勢谷友介)も、幕府側に仲間たちを惨殺されます。
蒼紫は仲間たちとともに倒幕派と闘ったプライドがあり、仲間の弔いの意味もあって、
相手側で暗躍した人斬り抜刀斎・緋村剣心を倒そうとします。
志々雄が京都に本拠地を構えているところに、斎藤一率いる軍部が飛び込むのですが、
斎藤の目の前で部下たちが悲惨な殺され方をしていきます。
燃え盛る炎のなかに縛られた部下たちが縄を切られて落下していくという。
大久保利通(宮沢和史)から打倒・志々雄のための京都行きを打診される剣心ですが、
【不殺の誓い】を立てた剣心は断ろうとします。
ところが、大久保利通が暗殺され、また、
各地で多数の警官たちが志々雄の配下によって殺されているのを知り、
剣心は京都へと出立するのでした。
それを追う蒼紫。
剣心は2つの大きな敵と闘うことになります・・・。
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この映画、エンタメとして最高レベルでありながら、
歴史の過渡期における、
個人のいのちの【重さ】と【軽さ】を、ひとつの作品のなかで際立たせ、
さらに、いのちの意味を今一度観るものに考えさせるという、
幾重にも層をなす物語、として見事だと思った。
前編である【京都大火編】は後編【伝説の最期編】への、
長大な予告編だったのではないか、
などというコメントを読んだけれども、
なるほど、最期の戦いが壮絶である分、あながち的外れとは言えない意見だと思う。
原作をまったく読んでいないので、
そこのところはお許しいただきたいけれども、
剣心が師匠、比古清十郎(飛天御剣流継承者13代目:福山雅治)に
奥義を授けてもらう過程。
これ、こんなに分量を割くのか、と思ったけれど、
師匠との問答が映画を観終わった後、じわじわ効いてくる気がした。
虚無的な剣心が師匠の言葉で、生き続けようと、能動的に歩き出すシーンは、
どんな局面にあっても、ひとは表象は表象のまま、その奥にある自分との対話によって、
方向性もエネルギーの質量も決まるのだ、という。
普段、アクション映画など観ない私には、この映画のアクションシーンの連続が、
日本映画の大きな転換期を促すもの、というほど《凄さ》をきちんとわかっていないのが
申し訳ないのだけれども、
人間業とは思えないあの次々繰り出される殺陣と超絶スピードは、
究極にむかって自らを追い込む俳優陣と、
それを企画立案したアクション監督(谷垣健治氏)と、
アクション監督に全幅の信頼を置く大友監督との最高の美学なんだなあと思った、素人目線で。
谷垣監督が自分のことを《香港映画のDNA》と言われるの、
今回の《これでもか》の殺陣の手の数とスピードで納得した。
ネタバレになるけれども、
志々雄と剣心らが1対4で闘うシーンは凄まじかった。
志々雄と、彼のもとに集まった同志たちが、
明治政府によって存在を否定されたものたちであり、
志々雄を討とうとする剣心もまたそうなのである、というところに
観客としては、権力と、権力がもつ絶対的な力、を痛感させて、
単なる「英雄物語」にとどめておかない意味を提示していると思う。
伊藤博文(小澤征悦)らの「万歳ー!」がなんとむなしく偽善として響くことか。
「伝説の最期編」という題名にはいろいろ考えてしまうけれども、
剣心の物語がこれで終わってしまうのはもったいない、と思う。
でも、この最高の苦さを伴う終わり方以上のものは望むべくもないのかも。
佐藤健さんをはじめ、俳優さん方の想像を絶するだろう過酷な撮影と
スタッフの方々に感謝します。
裏話をたくさん聞きたい作品でもありました!
Heartache [ONE OK ROCK新曲] [歌詞付き]