Quantcast
Channel: Lに捧げるちいさな図書館
Viewing all articles
Browse latest Browse all 6740

井浦新インタビュー(為朝が)「かっこいい〜!」とか思ってしまって。2012-05-29

$
0
0

2012-05-29


井浦新インタビュー
(為朝が)「かっこいい〜!」とか思ってしまって。


井浦さんは歴史がとてもお好きですが、保元の乱で共に戦うことになったキャラクターの中にも
興味のある人物はいましたか?

(井浦)源為朝です。崇徳上皇と同じ位、興味があって個人的に史跡めぐりもしました。
撮影現場で目の前に為朝(橋本さとし)がいて、思わずニコニコしてしまいました(笑顔)。
「かっこいい〜!」とか思ってしまって。




まるで少年がヒーローにあったときのような感じですね?

(井浦)撮影現場も相当楽しくて、心の中で「為朝がいるよ〜!」と思いながら、子どもみたいになってしまいました。
「為朝かっこいいですよね?」と橋本さんに話しかけると、橋本さんもよくご存じで、「
確かに面白い話をたくさん持っているひとですよね」とおっしゃっていました。
為朝が保元の乱の後配流された大島での話や、為朝が住んでいたとされる家の跡を訪ねた時の話とかで、
2人で盛り上がりました。




その保元の乱では、後白河天皇と争い敗れてしまいますね…。

(井浦)脚本家の方は流石だな、面白いなと思ったのは、「鳥羽院の遺言」(5月13日放送)の回です。
この回は、兄弟の決裂を分かりやすくするために、後白河が帝になる儀式を行っている時崇徳院が史実にはない
歌を贈ったというふうに描かれています。

      

(第19回・鳥羽院の遺言より)
あさぼらけ 長き夜を越へ にほひたて くもゐに見ゆる 敷島の君


(長らく待った末に国の頂きに立ち、いっそう光輝かれるであろう後白河の姿を詠んだ歌)

      



(井浦)この歌の頭を取ると「あ・な・に・く・し」という言葉になります。
「普通に聞くとおめでとう。本当はとても憎い」という意味が込められた歌なんです。
それを贈ったという風にしたんです。でも、実際はどうだったんでしょうか。
ここでも思ったのですが、後白河に対して全く悪意が生まれなかったんです、とても不思議なんですが…。

崇徳と後白河が摂関家と武士たちに象徴として祭り上げられ戦わされたとしたら、2人はいがみあって戦ったのか?と。
鳥羽院に対しての恨み辛みは持っていたとしても、後白河に対してどこまで憎しみがあったんでしょうか。
自分の息子が帝になれなかった位で、直接憎しみが後白河に行くのかな?と思ってしまったんです。
もしそうだとしたら、本当に悲しい兄弟の戦いだったんでしょうね。

*********************************************************************************

源為朝(1139-1170?)
平安末期の武将。為義の8男。 豪勇で、強弓をもって名高い。九州に勢力を張り、鎮西八郎と称する
。保元の乱で崇徳上皇方につき、敗れる。


橋本さとし
1966年生まれ。大阪府出身。「劇団☆新幹線」を経て、幅広く活躍する。 主な出演作に、舞台「レ・ミゼラブル」、
映画「ゲゲゲの鬼太郎」など。 NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」ではナレーションも務めている。





源為朝役の橋本さとしさんに一問一答!



為朝について、どんなことを調べられましたか?

(橋本)数々の伝説を残していますが、切腹という行為を日本で初めてした武将という説。
何もかも規格外の男であると思います。



どんな役作りをして挑まれましたか?

(橋本)とにかくすべてがでかい男なので、芝居も声もでかく、誰もが近づけないくらいの恐怖を
感じさせるよう意識しました。


                                                (NHK高松放送局)


為朝、すっごい存在感でしたね。
射た弓がからだを突き抜ける、という力、
リアルに感じました、背中が痛かった(笑)

井浦さんが少年のように、
そんな為朝さんを「かっこいい〜」とか思ってしまうのを、
実は密かに喜んだりして^^
崇徳上皇も、為朝さんの武勇を同じように思われた・・とかいう、
史実は残ってないんですよね、そんな余裕もないだろうし^^

しかし、井浦さんが同時期の登場人物について、
いろいろ語ってくださるのがとても嬉しいですね。
そして、崇徳上皇をよおくご存知である井浦さんが
実はこうだったのではないか、と奥行きのある発言をしてくださって、
大河ドラマがさらにさらに深まる気がいたします。

源為朝というひとは当時本当に破格なひとだったんですね。
配流さきの伊豆で大暴れして、伊豆七島を支配し、
乱暴狼藉が目に余ると追討され、自害したのだとか。
でも崇徳帝のようにやっぱり現地では愛されていて、
今でも、娘さんがお婿さんを連れ帰って島に暮らすと、
島のひとはお婿さんのことを「ためともさん」と呼ぶのだとか。
800年の時を経ているにもかかわらず、ですよ。
いや、武勇だけではなく、愛され方も超人ですね。

次回、《保元の乱》の総括の回となるのでしょうか。

清盛のあくびが気になるなあ。
なんであくび?
なんでフューチャリングあくび?(笑)




Viewing all articles
Browse latest Browse all 6740

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>