辞書って、素晴らしい。
映画《舟を編む》
2013-04-17
三浦しをんさんの原作《舟を編む》は2012年の本屋大賞第一位作品。
(ちなみに2013年は百田尚樹さんの《海賊と呼ばれた男》であることはご存知の通り)
私はまだ読んでいない。
割と原作を読んでから、落ち着いて?映画を観るタイプなのだけれど、
《辞書を作るひとたち》というのを小説で読むということに食指が動かなかった。
でも、映画を観たら、原作が早く読みたくなった。勝手なものだ。
パンフレットを買った(新米ファンさん、オススメ、ありがとうございます)
そこには後で触れるけど、素敵なことが満載で、
そのなかに、三浦さんは男を書くのが上手い、という一節があった。
なるほど、と思った。
主人公の編集部員・馬締(松田龍平さん)、先輩の西岡(オダギリジョーさん)、
ベテラン編集者の荒木(小林薫さん)、辞書作りの監修・松本(加藤剛さん)、
局長の村越(鶴見臣吾さん)・・・、それぞれが魅力的なのだ。
《舟を編む》に出てくる男たちはみな、素敵だし、それぞれの個性が際立っている。
そして、校正のアルバイトの学生に至るまで、ひとりとして余分な人物がいない。
でも、これは、監督のお仕事なんだろうな。
石井裕也監督ー《川の底からこんにちは》の後、主演の満島ひかりさんとご結婚、
映画に出てくるオダギリジョーさんが、年下の監督と仕事をするのは初めて、と言われる
今年30歳の俊英(主演:松田龍平さんとタメらしい)
若干、話が戻るが、《まほろ駅前多田便利軒》でも、三浦さんが描く、
多田と行天というふたりの男たちは素晴らしかった。
そして魅力的な行天もまた、松田龍平さんが演じていた。
(ちなみに《月の魚》での男子2人も素敵だ)
男たちが魅力的で成立している、だけではない、
この映画に出てくる、辞書作りの現場の契約社員の女性(伊佐山ひろ子さん)も、
下宿の大家のタケ(渡辺美佐子さん)も、
もちろん、馬締が一目ぼれする林香具矢(宮崎あおいさん)も、
松本の妻(八千草薫さん)も、西岡のかわりに編集部に入ってくる岸辺(黒木華さん)も、
西岡の恋人(池脇千鶴さん)も、ひとりひとりの人生が見えてくるような、
深みのある人物像となっている。
原作がしっかりしていると、役者さんはさらに輝くのだろうなあと思う。
・・・と、ここまで書いてきて、原作と脚本に乖離があったらどうしようと不安になったが、
きっとそれはないよな(笑)
辞書編集部でベテラン編集者の荒木が間もなく定年を迎えるが、
監修の松本は荒木がいないと、辞書の編集はできないと言い、
代わりの人間を探してくるようにと命じる。
荒木が白羽の矢を立てたのが、営業部にいる出来の悪い、変人扱いされる、
大学院で言語学を学んだ馬締(まじめ)だった。
「言葉の海。それは果てしなく広い。人は辞書と言う舟で海を渡り、
自分の気持ちを的確に表す言葉を探します。
誰かと繋がりたくて広大な海を渡ろうとする人たちに捧げる辞書、それが《大渡海》なのです」
松本の言葉に、馬締は辞書編集にのめりこんでゆく。
新しい編集部員を得た編集部は新しい辞書《大渡海》の刊行に取り掛かる。
チャラい感じの西岡は馬締がどうも苦手なのだが、自分から気をつかってくれる、
にもかかわらず、言葉を選びきることができず、気持ちをちゃんと表現できない馬締は
下宿のタケに「ひとはわからなくて当たり前。言葉をつかって気持ちを伝えろ」と励まされる。
女性でありながら板前を目指す香具矢はタケの孫娘。高齢の祖母のために同居をはじめたのだった。
香具矢に恋心を募らせ、仕事も手につかない馬締を編集部のみんなが温かく応援し、
言葉にできない馬締にラブレターを書くことをみんなが提案する。
そんな時、西岡が《大渡海》の刊行が中止になるかもしれない、という情報をもたらす・・・・。
映画を観るまで、「辞書作りって興味があるんですよー」
なんて、軽い気持ちで言っていた自分を恥じた。
知らないことについて興味があるんですよ、というのは勝手だけれど、
軽々しく言って良い事と悪い事があるんだなと。
いやあ、辞書作りって壮大な事業なんだなあと思う。
監修の、凜とした松本さんだけでも、
変人扱いされるくらい真面目で不器用な編集の馬締だけでも、
チャラチャラした西岡だけでも、
もちろん出来はしないんだなあと思う。
用例採集(新しく耳にした言葉と、その言葉の使用法を採取する)であるとか、
どの言葉を辞書に採用し、どの言葉を載せないかを決めていく作業、
あらゆる分野の専門家に執筆をお願いしたり、
辞書を売り込む営業の手腕も要求される、
表紙であるとか、宣伝媒体の打ち合わせや、
肝心の辞書の紙質を決める作業も・・・
校正は第5版まで繰り返し行われる・・。
好きこそものの上手なれ、とよく言われるが、
好きだけで出来る仕事ではなくて、
辞書から選ばれたひとたちによって成される事業なのだと思った。
(それ以前に優れた体力と視力と柔軟な思考力と根気は最低限要求されるのだろうけれども)
他の辞書で説明された語訳ではなく、
自分達の辞書のために、自分達で語訳を考える、というのが
難しいことであり、醍醐味でもあるのだろうなあと思う。
パンフレットに書いてあった語訳で、「文学」を感じたのは広辞苑の、
《恋(こい)》だった。
こい(恋)(1)一緒に生活できない人や亡くなった人に強くひかれて、
切なく思うこと。またそのこころ。特に、男女間の思慕の情。恋慕。恋愛。
こういう語訳はどうゆう環境で生まれたのだろう、
誰が担当したのだろう、と思うのだった。
辞書を作ることを一生の仕事としたひとたちの、
それぞれの人生もまたせつなく愛しいと思えるのは、
辞書が編纂されるのにかかる膨大な時間のゆえだ。
チームワーク抜群で、人間的にも温かい仲間たちの身の上に起こる出来事、
そのことも辞書の1ページ1ページに織り込まれている気がした。
松本さんと奥さまの静かに寄り添う姿、
馬締と香具矢の、お互いを思いやる姿もまた、しんしんと美しい。
この映画は声高に何を叫ぶ、というような作品ではないけれど、
この国の言語と、そして言語によって生み出されている感情を、
たしかな思索できちんと支えているモノ、そして者たちが在ることを教えてくれた。
社会が生み出す言葉、息づく想いを取捨選択する知性は、
しかし時代と密接な関係にあることだろう。
時代のバイアスがかからない辞書、その存在は無理だろうと思うけれど、
だからこそ、ひとりひとりの生き方が担うものが
決して小さなものではないということなのではないか。
馬締の不器用さ、言葉を探しあぐねて右往左往する姿には、
正直言ってイライラすることもあった。
それは多分、私という人間の非寛容さが如実に表れているのだろうなあと思う。
ひとが言葉を懸命に探しているのを待っている時、
そして自分が急いて言葉を乱暴に言い放ってしまう時、
言葉を軽んじないようにしなければ、ということも改めて教えられた気がした。
この作品は老若男女を問わず、いろんなひとに観てもらいたいと思う。
この国の礎にどんなひとと、どんな想いがあるのか、
少々大げさな言い方かもしれないけれど、すこし見える気がするのだ。
辞書が大切にされる国はきっと知性にあふれる国だろうと思う。
パンフレットには、出演者たちの好きな言葉、気になる言葉が載っている。
また、全シナリオ(一部だと思っていたので、驚いた!)、
馬締がこだわった辞書にふさわしいとされる条件を満たした紙とはどういうものか、
実物も辞書の語訳などを載せて挟んであるという、この粋さ、贅沢さ。
映画を鑑賞したら、ぜひ、お求めになることをオススメしたい。
松田龍平さんが素晴らしい役者として、
ますます気になる存在となった作品だった。
最後に原作本と映画の予告編について、載せておきます。
