■シノドスジャーナルでの対談です。
興味深いところを引用しました。
是非全文をお読みいただければと思います。
対談は最終回です。
震災後の日本社会と若者
(小熊英二×古市憲寿)対談 最終回
以下、SYNODOS JOURNALより一部引用抜粋
■信頼が崩れた
小熊 それでは最後に、震災で何が変わったのか、について語りましょう。私は一番変わったのは、秩序に対する信頼感だと思います。
最近、高橋源一郎さんと内田樹さんがある雑誌で対談をしていて、面白いなと思ったことがあります。彼らによると、戦後は「金がすべて」でやってきたという。自分たちは68年に、「平和国家なんて嘘だ、金がすべてなんていやだ」と反抗をした。でもその後、なんとなく成功したりお金が入ったりすると、「なんとなく居心地悪いけど金がすべてでもいいかな」という気分になったという。
そこで前提になっていたのは、「原発推進派は悪者だから事故は起こさない」と思っていたことだというんです。原発推進派を「政府」や「官僚」や「自民党」や「経済界」と入れ替えても同じだけれども、大丈夫だと思っていたと。ところが今回の震災で、意外と彼らが無能だということがわかってしまった。その信頼が崩れたというのは、もしかしたら大きな変化かもしれないと私は思いました。
古市 自民党支持者でない人も、自民党という悪者に任せておけば、なんとかなるだろうとみんな思っていたということですね。そのような一種の信頼が、60代のおじさんたちの間でも崩れはじめている、と。
小熊 そうです。私の知り合いのある不動産屋は、政治意識は高くないですが、「日本政府があんなに情報を隠すとは思わなかった。あんな中国政府みたいなことをやるなんて」といっていました。こういう秩序への信頼の崩壊感覚が、これからどう出てくるかわからない。
古市 なるほど。
小熊 もちろんこの20年間、なんかおかしい、日本はだんだん崩れはじめている、とみんな薄々感じてはいた。けれども、まあ服も電気製品も買えるし、なんとかなるだろうという感じだった。ところが、本当に大丈夫だろうかという密かな不安のレベルが、ある水域を越えた。原発問題で、「政府のいうことは信用できない」という感覚は一般的なものになった。それが世論の7割が脱原発を支持するといったところに現れてきていると思います。
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■デモによって「空気」が変わる
古市 一方で、デモがただのガス抜き装置になってしまって、投票行動を妨げるような逆機能を持つこともありうると思います。現実には代議制民主主義が続いている以上、それがすべてではないとしても、法律や社会制度など、投票行動などの選挙という制度を通してしか動かない部分もあると思います。
小熊 もちろんそれは否定しません。ただ投票行動につながらなければデモが無意味だというわけではない、ということです。
デモで何が変わるのか、とよく聞かれます。とりあえずいえるのは、日本でデモを経験した人が大幅に増えたことです。3月以来脱原発のデモに来ている人たちは、のべ人数で10万人は超えている。もちろんこれは、投票数に直せば、比例代表区で一人当選させるくらいです。しかしそういう数字には還元できないものが変わる。
デモで世の中が変わるとかいうと、みんなものすごく大袈裟なことしか思い浮かばないみたいで、一気に100万人が集まって革命が起きるみたいなものしか可能性として認めないみたいだけれども、そういうものではない。何が変わるかというと、社会が変わるんです。
古市 そのときの社会というのは、どの意味での社会ですか。
小熊 デュルケム的な意味での社会です。個人の頭数の総計に還元できない、あるいは企業にも村にも還元できないものです。それはたぶん、「日本人の好きそうないい方」であえていえば「空気」ですね。
古市 デモによって「空気」が変わるということですか。
小熊 そうです。デモは投票行動に反映するんですか、法案が通るんですかみたいな問題の立て方は、あまり意味のあることだと私は思っていない。法律だけで社会の全部が決められているのだったら日本に自衛隊はありません。では何が決めるのかといえば、それは「社会」です。そういうものが移り変わっていくという可能性はあるわけですよ。
10万人という数は別に多くありませんが、全体が移り変わっていく場合の局部表現としてある。それはたとえば、原発に対する世論の局部表現です。10年ほど前、少年犯罪が注目された時期がありましたが、少年犯罪の数自体は大したものではなかった。けれどあれは、社会全体の不安の局部表現だったから注目されたんです。それが注目されることで、明らかに社会のほうが変わっていった。さらにいえば、10万人の経験者ができたということは、デモがこれから政治文化として定着していく可能性がある。
だから、代議制民主主義で法律を通すか、革命が起きるかしなければデモは自己満足だ、といったものではない。政治というものをとても狭く考えているから、そういう発想しか浮かばないんですよね。
古市 しかし古い枠組みでしか捉えられない人が、大多数かある一定数いるとしたならば、古い枠組みで説明していくことも必要なのではないでしょうか。
小熊 もちろんそうです。統計数字とか、雇用状況の変化とか、世論調査とかを入れて、「社会の変化」を納得してもらう必要があります。
■科学とは何か
小熊 そういう対話のために、社会科学も含めて、科学というものが手段として必要になる 。私は大学の講義で西洋近代思想の話もしますが、近代科学というのはルネッサンス期の、カトリックとプロテスタントの血で血を洗う宗教戦争から発生したんですね。神を前提にしていると、絶対正義の対立になって戦争が終わらない。それでもお互いに対話しましょうというときに、こういう実験結果があります、あなたも実験してください、同じ結果がでますよ、というかたちで近代科学がはじまったんです。信じる神が違っても、同じ結論にたどりつくはずだと。
科学がそうあるためには、反証可能性がないといけない、つまり「科学的真理」を絶対のものとして振りまわすのは科学ではないというのは、ポパーがいっている通りです。だから科学的な対話術では、必ず典拠を示して、この統計数字の出処はここですから、私の読み方がミスリーディングだと思うんだったら原典にあたってください、他のリーディングがあるんだったらあなたがやってください、それから話し合いましょうというように、対話をするわけです。
対談の全文はここから→http://synodos.livedoor.biz/archives/1885788.html
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小熊英二(おぐま・えいじ)
1962年東京都生まれ。慶應義塾大学総合政策学部教授。東京大学農学部卒業。東京大学教養学部総合文化研究科国際社会科学専攻大学院博士課程修了。主な著書に『単一民族神話の起源―<日本人>の自画像と系譜』『<日本人>の境界―沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮―植民地支配から復帰運動まで』『<民主>と<愛国>―戦後日本のナショナリズムと公共性』『1968』『私たちはいまどこにいるのか 小熊英二時評集』他。
古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985 年東京都生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程在籍。慶應義塾大学SFC研究所訪問研究員(上席)。有限会社ゼント執行役。専攻は社会学。著書に『希望難民ご一行様―ピースボートと「承認の共同体」幻想』(光文社新書)、『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)。共著に『遠足型消費の時代―なぜ妻はコストコに行きたがるのか?』(朝日新書)、『上野先生、勝手に死なれちゃ困ります―僕らの介護不安に答えてください』(光文社新書)。
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>代議制民主主義
この制度への幻想と絶望に、
震災によってあらためて気付かされたひとは多いと思うのです。
そしてこれからもその思いを深くしていくのだろうなあ。
ひとつ、原発をとっても、
国民投票の早期実現を願い、署名運動で路頭にたつひともいれば、
早期の国民投票は大多数の《脱原発阻止》のひとびとによって否決され、
原発継続稼動にお墨付きを与える、というひともいます。
国民を信じたら国民投票へ想いが加速すると想うのですが、
私はこの期に及んでも経済至上主義のひとたちによって、
まずいのちの保障を、と脱原発を急ぐひとたちの願いが踏みにじられる気がどこかしてしまう。
でも、対談のなかで言われている小熊さんの、
>既存の代議制民主主義と政党政治が機能不全になっているのに、
>それを改めないで、デモを無意味扱いするとか、
>無理やり既存の回路に回収することしか考えないというのは、発想が狭すぎると思いますね。
震災からもうすぐ1年を迎える日々に、
こういう思いにたどり着かなければ、いけないのではないかと想います。
NHKの堀潤(アナ)さんがツイートで、
組織を信じるのはもうやめよう、個人で動こう、と言われましたけれど、
そうなんだ、
どんなにちいさな動き、イベントでも、
自分から動く、それがたとえ実を結ばなくても、動くことが大切なんだろうと思いました。
(それはネットでの活動も含めて、です)
この対談はそういうことだけを取り上げているのではなく、
客観的に《今》と《これから》の日本を論証しているものだということはわかっています。
この記事にお付き合いくださった方々(とても多くて感動しています!)が
貴重なこの対談を通じて、思索を深めてくだされば、と想っています。
記事にお付き合いいただき、ありがとうございました。