久々の更新。
綾野剛さんのひとことに衝撃を受ける。
引越し後、ダンボールに囲まれる私。
引越し後、
我が家の朝はNHKになってしまったのであるが、
洗濯物をほしていたら、
綾野剛さんのインタビューがはじまったので、
からだはベランダ、顔はテレビを向いているという、
外からその様子を見られたら、超恥かしい場面が展開されていたのだった。
綾野剛さんは新作の宣伝がらみの登場でした。
まだ題名を覚えられないのですが(かっこわる)、
「シャンニダールの華」だっけ?
《純と愛》で主人公にめっちゃ意地悪もしてた親友役の(笑)、
黒木華さんが共演する、植物学者(たぶん^^)の主人公。
女性の胸に咲く奇妙な花をめぐるお話で恋愛も絡んでいるらしいです。
詳しくは公式サイトでお願いしたいのですけど、
その奇妙な話を、《実際にあった話》という気持ちで演じている、
と力説されていました。
来る役やオファーはできればすべて受けたい、断りたくない、そうです。
というのも、ある方向の役で固まりたくないから、
感受性を多岐に繊細に遠くまで張り巡らせたいのだろうなあと思います。
固まるって怖くないですか?と、
インタビュアーの方に綾野さんが聞き返しておられましたよ。
役者さんが言いがちな《一度やった役、似たような役はやりたくない》という考え方は
真っ向から否定しておられましたよ。
そこにすっごく共感しました!
ひとりとして同じ人間はいないのだから、
《似たような人間》と括ってしまうのは傲慢だと思うし、
ひとりひとり、ちがった人間を生ききる能力に欠けるから
そういうセリフが出るんだと思うし、
綾野さんの姿勢は見習うべき、役者さんは(笑)
綾野さんは全部、できるだけ多くの人間を生きたいのだと思うし、
そうすることによって、想像力や創造力の限界をそのつど、
超えてゆきたいという、貪欲なひとなのだと思うのです。
日曜だけでも、あれだけ極端にタイプのちがう人間を演じ分けていて、
周囲を驚嘆される方だと思うのに、
その求道心というか、ある意味、表現者としての欲求というのはすごいなあと思いました。
私が衝撃を受けたというか、感銘を受けたのは、
《明日はやってくるものではなく、みずからが飛び込んでゆくもの》という、
(記憶は定かではないのですがそういうニュアンス)、
その自律的で、攻撃的?な姿勢。
そして先の展望を聞かれたときに、
《今という一瞬を精一杯生き切るだけ》というような答えが、
すっごく腑におちたのですよね。
それは《明日にみずからが飛び込んでゆく》姿勢と同じで、
漫然と夢見るものではない、夢を語ったりするものではない、というような。
一瞬一瞬にストイックなありかたが
綾野剛というひとの、彼が演じるといつまでも記憶に残り続ける役たちの秘密なんだろうなあと
思うわけです。
短い時間だったけど、やっぱり綾野剛さんの話はいいなあ。
いい話を聞いたなあ。で、一日が始まるというのは気持ちが良いです。
引越し後、ダンボールの山の中で生活しています。
たいへんです。
引越しを繰り返す方々の苦労がしのばれます。
大量の日用品の断捨離をする間もなく、
引っ越してしまうはめになったので、
日々泣いております。
お気遣いくださったブログのお友だち、ツイッターのお友だち、
ありがとうございました。
亀更新になるかと思いますが、
よろしくお願い致します。
綾野剛さんにKOされた朝でした。