フロントランナー《松山ケンイチ》
「朝日新聞《be》」(下)
ーーー俳優が夢だったんですか。
友達と遊ぶだけの普通の子どもで、将来もなーんも考えてなかった。
ただ、青森では簡単に就職できるわけではないし、職の選択肢も限られる。
「まず東京で色々と見聞きしてから進路を決めたい」と思っていた時、
僕の母親が「こういうことやってるから、出してみれば」って
(モデルのオーディションの話を持ってきた)
ーーーそれが、なぜ俳優に。
成り行きまかせで作品に出るうち、最初の段階で監督やスタッフに恵まれ、
「演技力なんか、どうせ何本もやればできる」と教わったのがよかった。
「役の気持ちをきっちり理解しろ」「自分がどう見せたいかではなく、
役の気持ちになれ」と。
教わったことを意識して台本を読み、現場に出て、監督としゃべってきただけ。
作品のメッセージに演技を乗せただけ。
ーーー「憑依」するんですか。
どのキャラクターも、あくまで監督の演出から生まれたもの。
僕自身は空っぽ。というか、自分に何もないから、どの演出も素直にやれる。
特に昔は空っぽでした。
今は必ずしも空っぽとは言えないかも。最近はだんだんと自分がどうしたいか、
考えるようになって、役にも反映しています。
ーーー出演作を選ぶ基準は。
自分の感覚に「グサッ」と刺さってきたものを選ぶ。
逆に「前もやった気がする」ってのは興味わかないっすね。
でも脚本段階で何も感じなくても、出来上がったら
素晴らしい世界になることも、映画ってねあるんですよ。
たくさんの人がかかわって作るから。縁なんです。
ーーー監督に意見することは。
昔はあんなこと、こんなことやってみればいいって、言ったりしました。
でもそんなの、たかが自分の短い人生の経験から出してるだけだって分かったんで。
最近は映画、ドラマ、アニメなどを見て、この表現方法は使えるとか、
今やってるキャラに合うとか考えて、取り入れることもあります。
ーーー自身の強み、弱みは。
どう見られてもいいから、 むき出しの表現も怖くない。
でもアドリブは難しい。つい、青森の言葉が出てしまう。
そうなると、求められているキャラクターではなくなる。
演技に感覚は大事だけど、直感とは違う。
とっさではなく、頭でいったんイメージして言葉を発さないとダメなんです。
ーーー10年、20年先に、どんな理想を描いていますか。
俳優だけでなく、どんな仕事も、自分の体で、自分にしかできない何かを
表現する意味では、同じ「自己表現」なんだと思う。
役者を続けていければと思うけど、何が起こるかは分からないんで。
これまでの作品はもちろん僕自身、一つ一つ納得し、楽しんできた。
成功も失敗もある。それが積み重なり、大河というスケールの大きい作品に挑む、
今の自分がいる。今は充実している。
そういう気持ちをこの先も大事にしたい。
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映画出身で、まだまだ一般の、特に中高年のひとたちには
なじみが薄い松山ケンイチ、という存在。
若年層には圧倒的な支持を誇っても、
大河ドラマ視聴世代と視聴層にアピールすることはなかなかできないでしょう。
この記事はとても丁寧に松山さんのこれまでとこれからの姿勢、
そして大河ドラマにたいする思いや苦労を紹介してくれているなと思いました。
「デスノート」の我が君《 L 》についての評から、
DMC、ウルミラと、
まあ、エキセントリックな人物を取り上げることによって、
一般のひとには、《まあ、なんて難しい役をこなしてきたんだろうこの清盛さんは》と
知らしめたに違いありませんよね。
そして、久々に思い出した、角川春樹さんの《和製ジェームス・ディーン》発言。
複眼で文章に深みをもたせてくださってありがとうございます、と言いつつも、
松ケンファンは角川さんともうひとり、あの監督とはできればあまり絡んでほしくないと
思ったりしてますよね、コケたからなあ(笑)
あの監督の映画を出さないっていうのはライターさんの、いろんな意味での賢明さが
にじみ出ているなあと思ったりもしました。すでに黒歴史化してるんだろうか(爆)
松山さんがみずからを《空っぽ》といい、
ゆえに監督の色に染まることができて、
これまで《カメレオン俳優》《憑依型俳優》という異名をとってきたというのを
きわめて冷静に自覚しているというのは喜ばしいことです。
この長丁場を乗り越えたら、《空っぽ》だった松ケンが、
明確にどう変わったと、ご自身で思われるのか、
そして、それがいつ語られるのか、とても楽しみになりました。
きっと、それはつぎに大きな役を得た時なのでしょうね。