借りてきた「ジャーマン+雨」を観ました。
ネタバレあります、ご注意ください。《2009-06-05》
「ジャーマン+雨」を観た、
ウルミラは優しくなった
《2009-06-05》
まきの友達、ゴリラーマンと呼ばれる林よし子は
両親が離婚して、祖母に引き取られていたが、
歌手になるんだと言って、町に帰ってきた。ぼろ家に住み、
小学生に笛を教えると言っては、彼らからトラウマを聞き、それを
曲にして昇華している。
よし子自身のトラウマは両親に捨てられたと思っていることらしい。
植木職人の卵であるよし子は16歳なのだが学校には行っていない。
同じ仕事場にいるドイツ人が目当てなのだが、
トラウマを聞き出したところ、兄と放火をやらかして、兄はアメリカ、
自分は日本に逃げてきたのだという。
汲み取りやの小川はまきとかつて付き合っていて、こどもを堕させていたが、
今は小学生にいたずらをする、独身の男である。
よし子の父親は病院に入院しているが、よし子は「だんご虫」といって、
見舞いにも行こうとしない。
それぞれくせのある人間たちに囲まれ、幸せそうな人間にたいしては
よし子は一切妥協せず、自分の思うがままを、貫き通そうとする。
そこでよし子を押しとどめるものは何もない・・。
よし子は歳相応に丸くなったりせずに、思い切り、自分の気持ちのままに
行動するのである。自分がルールであり、他人と関わって、他人の
ペースになることを極端に嫌い、イライラしまくる。
よし子はそんなだから、結構な嫌われ者なのだけれど、でも大人と向き合っても、
臆したりしないで、自らを貫き通して、気持ちがいい。
何を前にしても躊躇せず、自分の気持ちでばっさばっさと処理してゆく
いさぎよさは、到底まねできるものではなく、爽快ですらある。
誰かに支えてもらうことで成立する甘酸っぱい自由ではなく、
(よし子なりに)戦い抜き勝ち取る自由なのだ。
自由を自分ひとりの力で全うしようとすれば、これだけのきしみと
自己責任を強いられるのだなあと思ったりした。
よし子がだんご虫と呼んで嫌う父親を病院に見舞い、〜たぶん本当は
見舞いに行きたかったのだろうけど、理由をつけないといけないのだ〜
そのあと、痴漢の小川相手にやけくそになってしまう衝撃の場面に
続くのだけれど、じめじめ陰鬱ではない、最後の笑顔ににたりとする。
何から何まで親切に展開しているとは言いがたい作品であるけど、
よし子の性格が許せるか否かで印象が決まってしまう映画だと思う。
私は見栄を張ったり、2重言語(本音+建前)でものを言ったりしない
よし子がこの場面ではどういってくれるだろうと観ながらずっと
わくわくしていた。
場面によっては、何を意味するのか、正直、咀嚼しがたいところも
あったけれど、映画の起承転結に縛られない自由な、想像に余白を残す
この映画が、面白くて仕方がなかった。
よし子が出てこない場面では「はやく出て来い、よし子」と
心待ちにしてしまった。
この「ジャーマン+雨」に比べると、
「ウルトラミラクルラブストーリー」はなんと優しい映画かと思う。
よし子とちがって、陽人は相手に牙をむいたりしない、誰が言ったか、
「カミサマ」とは言い得て妙だなと思う。
そう、最後の一線は護るけど、楽しませてあげる・・・みたいな、
そんなエンターテイメントを、「ジャーマン+雨」を観た後、
横浜監督に感じてしまったのであって。
同族嫌悪しながら、林よし子が大好きになった。
■大好きなところ、たとえば・・。
ヨツバのクローバーを探してる男の子に
「うざ」といっときながら、
別の日には「四つ葉がなくなるから探すな」という、
めちゃめちゃツボなのであった。
目当てだというドイツ人の前で
まったくそんなそぶりが1ミリも見えないこと。
ボーカルオーディションで自分の不正がばれたのに
それでも断乎として歌を歌うこと。
表札を書いているペンキで
病院からの「父親に逢いに来い」というはがきを
ぬりつぶしてしまうこと
などなどなどなど・・・・・・・・・・あー面白かった!!!